「作家ものの器を買ってみたいけれど、どう選んだらいいかわからない」
「お好きなものをお選びください。」
と言われても、そもそもどういうものが「好きな器」か、わからない。
器を買い始めるときは、そういうものかもしれません。
未知のものを手にするときは、何を基準にすればいいんだろう。
というのがあるのかな、と感じることがあります。
作家ものの器は、イイ、悪い、の基準が知られていないというか、そもそも、そういう基準はないもの。
作家の作るものというのは、器一客ごとに明確なメッセージが込められているわけではありませんし、使い手のために作り出されたものではないように思います。
作り手が、作るという行為に喜びを感じたり、その衝動に突き動かされて作り出した器という形をしたものが、作家ものの器、なのだなぁと最近、私は感じるようになりました。
なので、作家ものの器を選ぶということは、(「トイレットペーパーを選ぶ」ときのような)何か明確な基準をもとにものを選ぶという行為とは大分違うのかもしれません。
作家の器を選ぶ、ということは、作り手の意識の底にある何らかのものを器という形に表現させたものに、それを手にする人の意識の深いところにある何らかのものが反応する、ということ。
器から伝わる言葉におきかえることのできないものに共鳴するものがあるとき、その器を手にする、のだろうと思うのです。
なので、器を選ぶときには感覚のアンテナを「ピン」とたててください。
大丈夫です。誰でも、いつでも、そのアンテナは、十分な働きをしてくれています。
そのアンテナが何も拾うものがないとき、そこには共鳴するものがないのですから、無理に器を手にする必要はありません。
もし、アンテナにひっかかるものがあれば、それを手にしてみてください。
そしてそれを持ち帰って、いつもの食事に使ってみたならば、食卓の景色が変わると思います。
器を選ぶ楽しみが加わります。
新しい世界が広がります。
作家ものの器を手にする人の生活が、そうなるといいなと思います。